福島県に残された、馬刺しと力道山の関係のお話
▼会津で馬刺しが食べられたキッカケは?
会津での馬刺しと辛味噌のルーツは「力道山」と言われています。
昭和30年ごろに、当時プロレスブームを巻き起こした国民的ヒーローである「力道山」が会津の鶴ヶ城に来て興行を行なっていました。
試合を終え、訪れた肉屋で力道山が店内に吊り下げてあった馬の枝肉を見て、なんと生の馬肉に持参したタレを付けて食べ始めたんです!
それまで、馬肉を生で食べる習慣が会津にはなかったため、お店の方は大変驚いたそうです。
念のため、後日、保健所に問い合わせたが問題ないと分かり、力道山の持参したタレを参考に辛味噌を開発。それを馬刺しとともに売り出したところ、人気が出て会津に馬刺しが広まったのです。
※興行…大衆へ娯楽を提供する行為。見物人から入場料をとる変わりにスポーツをみせること
▼力道山とはいったいどんな人物なの?
1924年生まれで、40年に大相撲の初土俵を踏み、関脇を最高位として50年に引退しました。引退後はプロレスに興味を持ち、52年に渡米し、300戦以上をこなして大活躍を収めました。
その後、帰国すると日本プロレス協会を設立し、世界タッグ王者のシャープ兄弟を招聘し、米国の一流レスラーと戦う姿がテレビ中継され、日本中にプロレスブームを巻き起こしました。
63年に東京で口論となった暴力団関係者に腹部をナイフで刺され、死去しました。
▼会津の郷土料理「こづゆ」とは
山の幸と海の幸を取り合わせた薄味仕立ての汁煮で、江戸時代後期から明治初期にかけて会津藩の武家料理や庶民のごちそうとして広まり、正月や祭り、冠婚葬祭など特別な日のおもてなし料理として食べられてきました。
四方を山に囲まれた会津盆地では海の物は手に入りにくく、山の幸を具としていれています。何杯おかわりをしても失礼にならないという習慣があり、まさに「最高のおもてなしをしたい」という人情味豊かな会津人の心を垣間見ることができる料理です。