熊本と馬刺しと加藤清正の歴史の話
▼熊本が“馬肉王国”になったその理由とは?
馬肉が食されるようになったのは、今から400年程歴史をさかのぼり、肥後熊本初代藩主の加藤清正が朝鮮出兵にて食糧難に陥った際に、馬肉を食したのが通説とされています。
それを熊本の地に広めたことが、熊本が“馬肉文化”として花開いたきっかけだとか!
馬肉には解熱作用があるとされ、患部に張る事で治療薬としても活躍し、当時生きていく上で欠かせないものとして馬肉を食する文化が根付いていったとも言われています。
▼生産量全国1位の馬肉の聖地。熊本
“馬刺しといえば、熊本”そうイメージされる方は決して少なくないですよね!
実際のところ、国内における馬肉の生産量1位は熊本であり、2位以下を圧倒的な差で引き離していて、イメージだけの話ではないんです。
馬刺しのみならず、馬肉全体が愛好され、生産した馬肉を県内においても相当量消費しており、地元でも愛されています!
▼加藤清正は一体どんな人物なの?
1562年に現在の愛知県西半部に位置する尾張に生まれ、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将・大名であり、肥後熊本藩初代藩主です。
実は豊臣秀吉とは血縁関係にあり、9歳の頃から秀吉に仕え、賤ヶ岳の戦いでは功名をあげた一人として七本槍の一人に数えられ、その後も数々の武功を立てました。
熊本藩主になってからは、富国安民の国づくり政策を推し進め、幾多の国の発展の礎となる産業や学問の奨励、文化開拓なども行いました。熊本城を完成させたものの、享年50歳。奇しくも生まれた日と同じ6月24日に熊本城で亡くなりました。
▼加藤清正を祀る「セイショコ(清正公)祭り」
熊本の基礎を築いた武将の加藤清正公をお祀りした加藤神社にて、毎年7月に「セイショコ祭り」が開催されています。
昭和50年に、子供には「幼き頃の思い出を」若者には「心の感動を」大人には「郷愁を」を合言葉に、永年途絶えていた神幸行列を復活し、昭和57年からは名称、日時とも現在のように改め斎行されています。
神社内には樹齢400年を超えた清正公がお手植えされた銀杏があり、パワースポットとして、たくさんの方が毎日参拝されています!